×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

練習艦 メークロン

H.T.M.S. Maeklong
タイ海軍を見守り続ける日本生まれの令嬢


 <使用キット>
 S&S ターチン級練習艦 メークロン

 <実艦解説>
 「ターチン」、「メークロン」からなる「ターチン」級練習艦は士官候補生の訓練を主任務として、1937年に浦賀船渠にて建造されました。
 タイは、王政の下に東南アジアで唯一独立を保ってしました。ですが、周辺の植民地海軍に対抗するために1934年頃から、急速な海軍の近代化にとりかかっていました。
 20p砲搭載の海防艦「トンブリ」級や、小型潜水艦4隻等、多くの艦艇を日本に発注していました。
 その急速に拡大する海軍の人員育成と、戦時における多用途艦として建造されたのです。
 
 性質的には、日本の「香取」級練習巡洋艦の小型版と言え、多様な兵装を備えていました。
 特に、タイ海軍では貴重な水上機を搭載可能な艦であり、竣工時は96式小型水偵。1940年頃からは95式水偵、1943年からは零式三座水偵を搭載していたようです。ですが、カタパルトも無いので運用時には停船する必要があり、常時搭載していたわけではないようです。
 その他にも、魚雷発射管、機雷敷設設備、掃海具など近代戦に必要な装備を一通り持っていました。

 ■激動の時代
 1940年11月28日。タイは、仏印への攻撃を開始します。
 当時、フランス本国はドイツの占領下にありました。仏印そのものも日本軍の進駐を認め、弱体化しているとみての行動でした。
 1941年1月13日、フランス極東艦隊は反撃を開始。軽巡「ラモット・ピケ」と、植民地通報艦(スループ)4隻でのサタヒップ沖のタイ艦隊への攻撃は成功。タイは、虎の子の海防艦「トンブリ」が大破座礁。水雷艇1隻が沈没、2隻が大破。タイ海軍は、甚大な損傷を受けます。
 この紛争自体は日本の仲介で、1月31日に軽巡「名取」上での停戦協定により終結します。しかし、タイ海軍はイタリアに発注した軽巡2隻が、大戦の影響で取得できず。「トンブリ」も戦線に復帰する事は無く、戦力はダウンしたままでした。そんな中、有力な艦の「メークロン」の存在価値は高いものでした。
 その後、タイは日本側に立って二次大戦に参加しますが、巧妙な外交により連合国側に責任を取らされる事を回避します。
 「メークロン」の姉妹艦「ターチン」は1945年に全損。「メークロン」も、二次大戦後のタイ海軍によるクーデーター未遂事件による、海軍からの航空機没収や、日本からの部品途絶による水上機設備の撤去。魚雷発射管の撤去、ボフォース40ミリ機銃の搭載。など、様々な改装を受けながらも「メークロン」は練習艦任務を続け、1965年には日本に来航。当時、戦前の日本で建造された艦艇の殆どが戦没ないし解体された中の来航は歓迎されました。建造に携わった技術者が、その元気な姿に涙する一幕もあったようです。
 その後、「メークロン」は1976年まで現役に残り、1995年までは訓練に使用されていたようです。
 今は、新造時の姿に復元されて陸上保存されています。
 

 <模型解説>
 キットは、2009年夏のワンフェスで入手したS&Sのレジンキットです。中身は、基本部品と真鍮線なので、武装等は流用が必要です。
 まずは、レジンキットの定番のパーツ洗浄とプライマーの塗布。
 主砲は、12センチM型砲の在庫が無かったので、PT社の12センチ高角砲の防盾を丸めて使用。
 45センチ連装魚雷発射管は、PT社の米海軍53センチ5連装発射管を切断して使用。
 水上機は、WL共通パーツの九五式水偵を雰囲気で搭載。
 塗装は、現存する「メークロン」の写真を参考に、船体をホワイトを加えたニュートラルグレー。甲板をPTカラーのデッキブルーで塗装しました。
 ちなみに、S&Sの公式HPに製作記事があり、参考になります。

 ■要目
 ■排水量:1,450t(基)
 ■全長:82.0m
 ■全幅:10.5m
 ■出力:2,500馬力
 ■最大速力:17.0kt
 ■武装:12p単装砲4基、45p連装魚雷発射管2基、20mm単装機銃1基、八一式爆雷投射機2基、水上機1機、機雷搭載可能

艦艇泊地へ戻る。