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海防艦 スリ・アユタヤ

H.T.M.S. Sri Ayuthiya
日本生まれのタイの「戦艦」


 <使用キット>
 フェアリー企画 タイ海防艦スリ・アユタヤ

 <実艦解説>
 「スリ・アユタヤ」は、トンブリ級海防艦の2番艦として、1938年1月31日に日本の川崎造船の神戸造船所で竣工しました。
 トンブリ級は、小型の船体に20cm砲と60mmの舷側装甲を備えた沿岸戦闘向けの艦で、タイのような小国にとっては主力であり、戦艦ともいえました。
 近代化著しいタイの期待を背負った本級は、間もなく苛烈な実戦に投入されることになります。
 
 フランス本国がドイツに降伏し、ヴィシーフランス政権が樹立した1940年。タイと仏印とのあいまいな国境線の策定で交渉が難航。
 1941年1月6日。ついにタイ軍は国境を越えて仏印への侵攻を開始します。
 当初は押されていた仏印のヴィシーフランス軍ですが、反撃を決意し、その一端として極東艦隊によるタイ海軍撃滅が企図されます。

 ■コーチャン沖海戦
 タイ海軍は、仏印国境近くのコーチャン島沖に進出。島陰に水雷艇を配備しての漸減作戦を計画していたようです。
 しかし、集結していなかった17日早朝に奇襲のような形でフランス極東艦隊の襲撃をうけます。
 襲撃したフランス艦隊は、軽巡「ラモット・ピケ」を先頭に植民地通報艦(スループ)2隻、砲艦2隻が並ぶシンプルな単縦陣。「ラモット・ピケ」の強力な50口径15.5cmは、タイ海軍のトラッド級水雷艇を次々に各個撃破。この320tの小型水雷艇は2隻が撃沈されてしまいます。
 また、蒸気圧があがらずスピードが出ない海防艦「スリ・アユタヤ」にフランス艦隊は砲雷撃を浴びせ座礁に追い込みます。
 その意気上がるフランス艦隊の前に、立ちふさがる艦影が現れます。「スリ・アユタヤ」の姉たる「トンブリ」でした。「トンブリ」は後部をみせつつ、盛んに4門の20cm砲を発射。何発かは至近弾になりますが、命中にはいたらず。逆に、フランス艦からの命中弾で大火災を起こして遁走することになります。
   
 ■フランス艦隊に応戦する「スリ・アユタヤ」




















■その後…
 一方的に近い勝利をおさめたフランス艦隊でしたが、紛争自体は日本の仲介でタイに有利な結果での停戦になります。
 トンブリ級の2隻は、大破状態で修理に長期間かかりました。
 「スリ・アユタヤ」は、1951年にタイ海軍によるクーデーター事件で首相が監禁される艦として使用。陸軍による砲撃で撃沈され、首相は泳いで逃げたとの逸話が伝えられています。
 なお、「トンブリ」の艦橋と主砲塔は、今もタイにて保存され、日本製の20cm砲の威容を伝えています。

                        
                       

 <模型解説>
 「スリ・アユタヤ」のレジンキットは、偶然中古で入手。その前にタイ練習艦「メークロン」を作っていたので、これで艦隊が組めると意気揚々と蓋をあけ驚愕。
 …船体がバラバラじゃないですか。中古なのでやられたかと思いましたが、フェアリー企画のキットは船体のそり防止で分割するのが定番でした。
 気を取り直して、船体の接着とパテ埋めをすすめ。
 さらに、マイナー艦ゆえに資料も無いだろうなあと思っていたら、様々な方から助言をもらえました。なかでも、近衞騎兵さんにはトンブリ級が現役当時の記事までもらいました。
 その結果、ブルワークは無いようなので、キットの艦橋まわりのブルワーク撤去。主砲塔は、トンブリ級特有のF型らしいので、キットの砲塔に武装セットの主砲を装着。
 塗装は、「メークロン」と同じホワイトを加えたニュートラルグレーを使用しました。

 
■「メークロン」と「スリ・アユタヤ」
 日本で建造された艦艇が、今もタイに残る。感慨深いです。









 ■要目
 ■排水量:2,015t(基)
 ■全長:76.5m
 ■全幅:14.4m
 ■出力:5,200馬力
 ■最大速力:15.5kt
 ■乗員:155名
 ■武装:50口径20cm砲連装2基、76.2mm高角砲単装4基、40mm連装機銃2基

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