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駆逐艦 竹

I.J.N Take
日本駆逐艦の悼尾を飾る功労艦


 <使用キット>
 T社「松」

 <実艦解説>
 ガダルカナル島での駆逐艦の損耗を受け、昭和18年2月の軍令部商議で建造が決定した丁型駆逐艦「松」級。その二番艦として、「竹」は昭和19年6月16日に竣工しました。
 7月の沖縄への呂号輸送作戦を皮切りに、「竹」は船団護衛に活躍します。こういった輸送作戦への従事は計画時からの予定にあり、適役といえました。
 しかしながら、「竹」に待っていたのは敵機動部隊の出没する危険な最前線、オルモックへの強行輸送作戦「多号作戦」でした。

 ■駆逐艦の墓場〜多号輸送作戦
 レイテ沖海戦に敗退した日本でしたが、レイテ島への地上兵力への増援で戦局を打開できると考えた大本営は、現地の山下奉文司令官の反対を押して、多号輸送作戦を実施します。日本に残された貴重な優秀商船と水雷戦隊を投入した「多号作戦」は、幸運提督の木村昌福少将指揮の第二次多号作戦を除き、多大な犠牲を出します。
 理由の一つとして、オルモックには充分な揚陸設備無いので、大発と商船が陸地を何往復もする時間のかかる揚陸を行った事が挙げられます。
 そこで、陸軍は小型のES艦(海軍の二等輸送艦に近い陸軍独自の上陸輸送艦)、機帆船、潜航輸送艇「まるゆ」を五月雨式に出撃させます。これらは、ある程度の成功を収めるものの、やはり全滅に近い損害を出します。
 そんな中、海軍は新鋭の第一輸送戦隊を投入します。これは、迅速な上陸作戦を行える一等、二等輸送艦から編成されていまいた。

 ■第五次多号作戦
 昭和19年11月24日、先に着の身着のまま上陸した第26師団への軍需品輸送として第五次多号作戦は行われました。
 第一梯団:二等輸送艦「111号」「141号」「160号」、駆潜艇「46号」
 第二梯団:一等輸送艦「6号」「9号」「10号」、駆逐艦「竹」
 両者とも、往路で敵機動部隊の空襲を受け、生き残ったのは「9号」と「竹」だけでした。生き残った両艦にしても損傷が大きく、「竹」の宇那木艦長は抗命覚悟で反転しました。

 ■第七次多号作戦
 この作戦は、陸軍のES艦を主力とする第一、第二梯団と、輸送艦「9号」、「140号」、「159号」、駆逐艦「桑」、「竹」の第三梯団からなっていました。
 第三梯団は野戦高射砲大隊や独立工兵大隊を搭載し、11月30日にマニラを出撃します。

 ■出撃する第三梯団
 なお、写真の輸送艦群は、搭載品や艤装が史実と異なるのでイメージです。









 ■最後の敵駆逐艦撃沈
 12月2日の夜、部隊はオルモック湾に進入。輸送艦は直ちに揚陸を開始し、「桑」と「竹」は湾内の哨戒配置につきます。
 そんな中、新鋭重武装のアラン・M・サムナー級駆逐艦3隻と魚雷艇からなる米艦隊が襲撃をしてきたのです。この艦隊は、夜戦「月光」の襲撃を受けつつ、オルモック湾に突入してきました。余談ながら、この「月光」は戦闘804か戦闘812飛行隊所属と思われ、この部隊は沖縄への夜襲で知られた芙蓉部隊の母体になっています。
 米艦隊は、沖にいた「桑」とまず交戦。1隻あたり6門の5インチ両用砲の重火力は、瞬く間に「桑」を火達磨にします。
 一方の「竹」は、「桑」に被弾が集中する間に、魚雷の射点につきます。ミスにより2本しか発射されなかった93式酸素魚雷ですが、1本が米駆逐艦「クーパー」に命中。30秒ほどで轟沈してしまいます。これに怯んだ米艦隊は撤退します。
 「竹」も無傷ではありませんでしたが、シフト配置の機関と輸送艦「9号」の支援により、マニラへの帰還に成功します。
 「竹」は、その後内地に帰還。「回天」搭載設備の設置を行いながらも、終戦まで生き延びています。



 <模型解説>
 いつものように、T社「松」をほぼ素組みで仕上げました。
 艦底板が分厚いキットですが、これをプラ板に置き換えるは一苦労です。そこで、艦底板を接着後にパーティグラインを消し、塗装で誤魔化しました。
 また、武装は学研の「歴史群像43 松型駆逐艦」を参考に、PT社の物に換装しました。後部高角砲は、砲身のみWL共通パーツの物に変えました。
 艦橋後部のキャンパス張りはガルグレーでの塗装で表現しました。

 ■要目(1944年12月時)
 ■排水量:1,262t(基)
 ■全長:100m
 ■全幅:9.35m
 ■出力:19,000馬力
 ■最大速力:27.8kt
 ■乗員定数:211名
 ■武装:40口径12.7p単装高角砲1基、40口径12.7p連装高角砲1基、25mm3連装機銃4基、25mm単装機銃12基、爆雷36個

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