戦艦 ヴイットリオ・ヴェネト

R.M. Vittorio Veneto
武運恵まれぬ地中海の戦姫


 <使用キット>
 レジア・マリーナ社 ヴィットリオ・ヴェネト

 <実艦解説>
 「ヴィットリオ・ヴェネト」は、リットリオ級戦艦の二番艦として1940年4月28日に竣工しました。
 この時、イタリアは既にイギリスと交戦下にあり、地中海の制海権を争っていました。 お互いの補給線の保護と遮断のために、地中海で両者が競り合う中、イタリア海軍の期待を担っての竣工でした。
 11月12日には、タラントを英空母機が奇襲。主力戦艦の殆どが行動不能となり、無傷だった「ヴィットリオ・ヴェネト」の価値は更に高まったのでした。

 ■攻撃力
 製造能力の関係で40cm砲が製造できなかったため、主砲は50口径38.1cmと控えでした。しかしながら、高初速のため至近距離での装甲貫徹力は欧州最強といっても過言では無く、「大和」級戦艦の装甲すら破る威力を秘めていました。

 ■防御力
 舷側の水線下防御は、イタリア戦艦に特有の艦内舷側に水中爆発の衝撃を吸収する大きな円筒を設けたプリエーゼ方式です。これは、他の列強戦艦のようなバルジに比べて船体をスマートにし、高速を稼げるメリットがあるものの、防御力は大きく劣るものでした。水線部装甲も製造能力の関係で、厚い装甲板が作れず、複殻式になています。対38cm徹甲弾防御として250mmの中間区画をおいて外側70mm被帽破壊用硬化鋼、内側280mmのKC甲鉄、計350mmの装甲を11度傾斜して装備、というものです。

 ■総評
 高い攻撃力に高速性能。バランスの良い兵装配置と合いまり、欧州最強の戦艦になる可能性を秘めた戦艦でした。
 しかしながら、燃料不足と練度不足により充分な活躍を出来ずに終わりました。

 ■戦歴
 1940年11月27日にスパルティヴェント岬沖海戦に参加し、遠距離からの7度の主砲斉射によりイギリスの巡洋艦隊を後退させました。
 1941年3月26日から29日にかけて「ヴィットリオ・ヴェネト」はマタパン岬沖海戦に参加し、ペロポネソス半島沖で砲戦を繰り広げました。イギリスの巡洋艦隊に小規模の被害を与え退却させた後、「ヴィットリオ・ヴェネト」は雷撃機による攻撃を受け、帰還を余儀なくされました。この時、イタリア艦隊は貴重な主力戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト」を援護するため、巡洋艦部隊を盾にするような形になりました。二度目の航空攻撃および続く夜戦で、3隻の重巡洋艦と2隻の駆逐艦がイギリス戦艦「ウォースパイト」による砲撃で撃沈されました。
 この結果、「ヴィットリオ・ヴェネ」トはタラントへの帰還に成功するのの、修理には5ヶ月を要しました。

 その後も何度か補給線遮断に出撃するものの、戦果を挙げることなく、1943年9月8日の休戦を迎えます。
 マルタの英軍に投降すべく出港したリットリオ級3隻は、ドイツ空軍の誘導爆弾「フリッツX」の攻撃をうけ、姉妹艦「ローマ」が爆沈するという悲劇に見舞われています。

 「ヴィットリオ・ヴェネト」は賠償艦としてスエズに回航されましたが、その後イタリアに返還。1948年にスクラップとして廃棄されてしまいました。

 <模型解説>
 ポスト・ジェットランド型戦艦の代表艦の一つでありながら、インジェクションでは存在しない「リットリオ」級。
 偶然、本家イタリアのレジア・マリーナ社の「ヴィットリオ・ヴェネト」を入手し、その嬉しさの勢いのまま、一気に完成させてしまいました。
 パーツの洗浄とプライマーの塗布後は、船体の歪みも無かったので、すぐに塗装に入りました。
 船体はクレオスの明灰白色と軍艦色。甲板は、デッキブルーと軍艦色を混ぜた色です。
 主砲は、付属の真鍮砲身。マストも真鍮線で作り直しました。
 機銃も銃身が破損していたので、0.3ミリ真鍮線に置き換えています。
 また、搭載水偵はWL共通パーツの零観をそれらしく改造してます。

 ■右砲戦中の「ヴィットリオ・ヴェネト」
 主砲、副砲、測距儀は旋回可能にしました。





















 ■要目
 ■排水量:45,752t(満)
 ■全長:237.79m
 ■全幅:32,84m
 ■出力:140,000馬力
 ■最大速力:31,5ノット
 ■乗員定数:1,920名
 ■武装:50口径38.1cm砲3連装3基9門、55口径15.2cm砲3連装4基12門、50口径9cm砲単装12基12門、54口径37mm高射機関砲連装10基20門、65口径2cm機銃連装10基20門

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