護衛駆逐艦 サミュエル・B・ロバーツ
U.S.S. Samuel B.Roberts
戦艦のように戦った護衛駆逐艦
<使用キット>
ピットロード 「ジョン・C・バトラー級」
<実艦解説>
「サミュエル・B・ロバーツ」は、1944年4月28日に竣工しました。
竣工後は太平洋艦隊に配備され、訓練と船団護衛を繰り返します。その後、C.スプレイグ少将指揮下の第77.4.3任務群に配備され、レイテ島攻略に参加します。
■ダビデとゴリアテの戦い
1944年10月25日早朝。サマール沖に展開していた第77.4.3任務群は、突如多数の水上艦に遭遇。その艦隊が放つ「テクニカラー」の巨大な水柱は、日本の精鋭戦艦群の存在を示していました。前日に撤退していたはずの栗田艦隊です。
既に、戦艦「武蔵」が沈没し、多数の艦が脱落していた栗田艦隊ですが、いまだに「大和」を主力とする戦艦4隻、重巡隻、軽巡2隻、駆逐艦隻が健在。対して、タフィー3は、護衛空母6隻、駆逐艦3隻、護衛駆逐艦3隻。戦力の差は圧倒的でした。
タフィー3は可能な限りの搭載機を発艦させるとともに、駆逐艦には日本艦隊の攻撃。速度、性能に劣る護衛駆逐艦には空母の直衛を命じます。ですが、「サミュエル・B・ロバーツ」は反転し、日本艦隊へ突撃していきます。
■栗田艦隊へ突撃する「サミュエル・B・ロバーツ」
後方は、僚艦の「ジョンストン」
このサマール沖海戦はスコールと煙幕による混乱が大きく、記録は判然としません。しかし、「サミュエル・B・ロバーツ」は日本重巡群に至近距離まで突撃。魚雷の命中を報じ、2門しかない5インチ砲を弾切れ寸前になるまで撃ちまくります。その様は、日本側に巡洋艦と誤認させるほどのものでした。
英雄的に戦った「サミュエル・B・ロバーツ」ですが、最後は戦艦「金剛」の主砲が命中し、波間に消えました。
速度・武装が艦隊型駆逐艦に劣りながら、勇猛に戦った「サミュエル・B・ロバーツ」は「戦艦のように戦った護衛駆逐艦」と呼ばれ、艦名は米海軍の新造艦に引き継がれていきました。
<模型解説>
以前からサマール沖海戦には興味があり、参加艦艇を作りたいと思っていました。
今回は、米護衛駆逐艦の中でも随一の知名度を持つと思われる「サミュエル・B・ロバーツ」を作りました。
キットは、PTから出ているベテランキット。脂が乗った時期のキットだけあって、素組みでも充分な出来栄えです。ただ、20mm機銃は大きすぎるため、タミヤの「ミズーリ」のものと交換しました。
塗装は、米国艦艇の迷彩塗装をまとめたサイトを参考に実施。クレオス308、ジャーマングレーで迷彩を施し、甲板はクレオス333です、
■要目
■排水量:1,350t(基)
■全長:93.27m
■全幅:11.2m
■速力:24kt
■乗員:200名
■兵装:38口径12.7cm単装両用砲2基、40mmボフォース機関砲連装2基、20mm単装機関銃10基、53.3cm魚雷3連装発射管1基、爆雷投射機8基、投下軌条2条