駆逐艦 涼月
I.J.N suzutsuki
三度の損傷にめげず生き残った不屈艦
<使用キット>
PT社涼月1945
<実艦解説>
秋月型駆逐艦の三番艦として、1942年12月29日に竣工。
秋月型駆逐艦としては、早期に竣工した割りに大海戦に参加する機会は少ない艦でした。というより、損傷修理期間が長かったのです。
1944年1月15日、日向灘で触雷。艦首、艦尾を失う大損害を被ります。
損傷修理をしますが、10月16日にまたも日向灘で触雷。再び艦首を失います。マリアナ、レイテの大海戦に参加できなかったものの、このような大損傷から二回も復帰する艦は、そういません。
そして、1945年4月7日。涼月は、第一遊撃部隊の1艦として、沖縄に突入する戦艦大和の防空直衛艦として奮戦します。
■海上特攻作戦での「勝利」
この戦艦大和の護衛任務中に涼月は、艦橋右真横の二番砲塔付近に被弾。またも、艦首がちぎれかける大損害を受けます。
涼月被弾から約1時間、、戦艦大和が沈没し海上特攻作戦は中止されます。しかし、涼月の戦いは続いていました。
祖国日本に帰るための戦いです。
僚艦の姿が周囲に見えない中、弾薬庫の火災と機関室の浸水。普通なら、艦を放棄してもおかしくない中、乗員達は必死に奮闘します。
生き残った缶室で、浸水を止めるべく木材を押し当てたまま黒焦げになった応急員。
孤立した居住区で、自らの脱出を放棄し、艦の浮力を維持させた乗員。
艦のために、自らを犠牲にした乗員達の奮戦で涼月は、後進で帰還を開始します。
そして、翌日の午後二時過ぎ。祖国九州、佐世保に涼月は姿を現します。
ボロボロで沈みかけた異形の艦が、沈んだと思われた涼月とわかった時、港内を感動が包み、歓声と万歳が沸き起こります。
涼月乗員も、艦のバランスをとるため、艦尾に立ち並んで軍歌を絶唱して応えます。
そこにあったのは、惨めな敗残兵の姿などではなく「生還」という名の勝利をつかんだ者の姿でした。
涼月は、若狭港の防波堤としてコンクリに覆われながらも、今も日本の国土を守っています。
<キット解説>
「男たちの大和」公開前後に、限定版として発売されたのを購入。限定生産という話でしたが、結構見かけます。
いつものように、ほぼ素組ですが、装備品を一部変更。
探照燈を巡洋艦用の90センチに交換。
説明書の単装機銃の配置は、疑問なので資料を参考に写真のようにし、短艇も撤去しました。
■艦橋
一度目の雷撃時に、艦橋を失い再建後は、キットのように角ばった特徴的な物になっています。
■後方より
後甲板の一部も、雷撃の修理時に鉄甲板となっています。
■要目
■排水量:2,701t(基)
■全長:134.2m
■全幅:4.15m
■出力:52,000馬力
■速力:33.0ノット
■乗員:263名(竣工時)
■兵装:65口径10p連装高角砲 4基8門、61cm4連装魚雷発射管 1基4門、25mm機銃 3連装7基、同単装28挺、爆雷投射器2基、同投下軌条2基