駆逐艦 丹陽1960
THE REPUBLIK of CHINA Destroyer TANYAO 1960
武運輝く、祝福を受けた少女の戦いは終わらず
<使用キット>
A社雪風1945
PT社バックレイ級
<実艦解説>
日本海軍はもとより、太平洋戦線随一の「幸運艦」といわれる駆逐艦「雪風」。
無傷で第二次大戦を切り抜けた彼女ですが、まだ仕事は終わっていませんでした。南方に取り残された人々を、日本に連れ帰る復員輸送です。延べ1万3000名余りも、その小柄な体で日本に連れ帰ります。終戦後、風紀が乱れた他艦と異なり、最後まで毅然とした艦律が保たれた「雪風」。復員輸送終了後、賠償艦となった彼女を視察した連合国将校は「敗戦国で、かくも見事に整備された艦は見たことが無い」と賞賛されます。
抽選の結果、「雪風」は中華民国に引き渡されます。
賠償艦として引き渡された旧日本海軍艦の運命は苛烈でした。米英に引き渡された艦は、解体か原爆実験に供され1950年までに姿を消します。
対して、中華民国とソ連に引き渡された艦の多くが、その国の海軍に編入されました。
中華民国に引き渡された「雪風」は「丹陽」と名を変えますが、しばらくは非武装状態で放置されます。
しかし、彼女の安息の日は続きませんでした。
共産党と国民政府の内戦が激化。国民党と共に台湾に逃れた「丹陽」は、1951〜52年にかけ再武装されます。
この時は、旧日本海軍から引き渡された武装を施します。すなわち、一番砲に12.7センチ連装砲。二、三番砲に長10センチ連装砲。他に25ミリ連装機銃8基、単装1基。(魚雷は無し)
ちぐはぐながら二次大戦の時より強力な砲兵装です。
再び、刃を取り戻した彼女は台湾における最大の作戦可能艦艇として、艦隊旗艦になります。
敗戦国から虜囚として来た戦士が、その国の将になったようなものです。
本艦はその後も台湾最大の大型水上艦として米海軍貸与の駆逐艦と共に活動し、文字通りの呉越同舟。しかし、旧日本海軍からの弾薬が欠乏してきたため、1959年に再度改装が行われます。これは搭載砲を米海軍制式装備に改める、と言うものでした。
この時の要目は、最後に記載しますが全艦に砲を搭載した凄みのある艦影になっています。
さて、艦隊旗艦として金門島で砲撃を行ったり、共産圏の船舶の臨検をしたり第一線で奮闘した「丹陽」。
1966年に艦隊旗艦を引退し、練習艦となります。
そして、1970年に、姿を消します。その最後は、台風による破損の後解体とも、実艦標的として撃沈ともいわれます。
いずれにしろ、30年という帝国海軍の駆逐艦の中で、最も長命だった艦はひっそりと姿を消したのです。
<模型解説>
最初に断っておきますが、この写真の模型はフィクションが多数入って架空艦に近くなってます。(苦笑
「雪風」の後身たる「丹陽」。この艦を作るきっかけは、学研の「真実の艦艇史」を読んだことでした。
長10サンチを身に着けた、第一次改装時。
全艦砲だらけの第二次改装時。
どちらも魅力的で、「雪風」という艦の武運あふれる艦歴とあわせ、一気にモチベーションがあがりました。
そこで、まずA社の雪風を購入。第二次改装時を作るべく艦上構造物の撤去、舷窓開け、ヤスリがけを行います
次に、廃艦にしたZ級の後部構造物にバックレイの構造物側面を巻き「丹陽」の後部構造物に似せます。
■後部から見た「丹陽」
5インチ砲と40ミリ機関砲が並ぶ、「丹陽」の後部構造物。
わずかにメインマスト周囲にのみ「雪風」の面影が残る。
次に、塗装。白黒写真から推測し、甲板をデッキブルー、艦体をグレーFS26440(クレオス325)で塗装。
…今では、これはミステイクではと思ってます。最近の台湾艦艇や米軍艦艇に近いグレーが正解の気がします。(汗
また、機銃ですが当初は40ミリ連装4基。最後は単装10基が正解。資料を立ち読みで済ませたのと、パーツ不足が原因でこうなりました。
最後にマスト上部をバックレイの物にして完成。
あちこちフィクションだらけですが、完成まで三週間程度かかってます。それゆえ、その特異な艦影と共にお気に入りです。
■「雪風」三変化。
タカラホビーの「雪風」天号作戦時、復員船時とのショット。
艦橋や煙突以外は、様変わりしています。
■「雪風」三変化2
正面より。
■要目
■排水量:2,050t(基準)
■全長:118.5m
■全幅:10.8m
■出力:52,000馬力(1945年時、丹陽時代には低下していると思われます。)
■最大速力:27ノット
■乗員:290名
■武装:38口径12.7センチ単装両用砲3基、50口径7.6センチ単装両用砲2基、40ミリボフォース単装機関砲10基、爆雷投下軌条(1966年時)