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模型で再現する「大和特攻」。
パート2

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 ■4月7日6時、大隈海峡通過、第三警戒序列に
 この輪形陣の、艦の配置は諸説あります。ここでは、「特攻大和艦隊」(光人社NF文庫)の説を採用しました。
 「大和」からみて、左上から「磯風」「浜風」「涼月」「雪風」。
 同右上から「朝霜」「霞」「冬月」「初霜」です。



 
■第二艦隊の直援にあたる零戦
 7日の10時位まで第五航空艦隊の宇垣長官の好意で、直援の零戦がいました。
 映画「連合艦隊」などでも再現されていました。
 これから、死地に赴く艦隊を見送る搭乗員達の心境はどうだったのでしょうか?

















 

 
 
 ■機関が故障し、艦隊から脱落する「朝霜」
 7日11時。朝から機関が故障し、速力が低下していた「朝霜」が艦隊の視界から消えました。
 12時21分に「九十度方向に敵機三十機を探知す」の電文を最後に、消息を絶ちます。
 レーダーピケット艦と米軍に誤認され、先制攻撃で撃沈されたのです。 
 生存者が無く、その最後は孤独で悲劇的でした。
















 ■大島輸送隊とすれ違う第二艦隊
 7日12時19分。奄美大島への輸送任務からの帰途の輸送艦一四六号と駆潜艇四九号と、第二艦隊はすれ違っています。
 二隻の乗員からは、歓声があがり盛んに帽を振ります。
 奄美大島で僚艦の半分を失った輸送隊から見れば、世界最大の戦艦「大和」を中心とした部隊は、頼もしい限りだったでしょう。
 …生還を期さない特攻任務だとは、知らなかったわけですから。
 輸送隊指揮官から、第二艦隊に激励文が飛びます。
 「御武運の長久と、成功を祈る」
 返信は、
 「われ期待に背かざるべし」
 …そして、この直後の12時32分。敵艦載機150機が、艦隊の視界に入りました。
 帝国海軍最後の艦隊の死闘が、幕を開けたのです。
 


 ■航空攻撃を受ける第二艦隊。
 第一波の攻撃で、「浜風」沈没。「矢矧」「霞」航行不能。「涼月」が被弾で後落。
 「大和」も後部艦橋近くに被弾し、通信不能になります。
 そのため、13時30分〜14時20分の間の第二波の攻撃時には、「大和」の援護をする艦は激減していました。
 

 
 ■「初霜」
 「初霜」は、「大和」が沈没する瞬間まで近くにいました。
 通信不能となった「大和」からの発光信号を読み取り、司令部へ転送。
 押し寄せる敵機の攻撃の回避。 
 艦隊で一番小さな駆逐艦でしたが、戦死者ゼロで、この困難な戦闘を乗り切っています。






 ■「冬月」
 自慢の長10サンチ高角砲が、低い雲のせいで有効な射撃が出来ない状況でしたが、奮闘。軽微な損傷で乗り切っています。
 前部の4門の長10サンチ高角砲を射撃後、、後部の4門が発射する連続写真が米艦載機により撮影されています。












 ■「矢矧」と「磯風」
 12時46分に右舷艦尾に被雷し、航行不能になった「矢矧」。
 しかしながら、「矢矧」は日本軽巡洋艦の意地を見せるかのように奮闘を続けます。
 誘爆を避けるため、機銃掃射の中の魚雷投棄。
 至近弾で引っくり返った水偵の投棄。
 この最中の写真が、米機により撮影されています。下の写真みたいな感じです。
 
 
  
 ■「矢矧」に近寄る「磯風」
 13時30分頃、二水戦の司令部移乗のため「磯風」が近寄ります。
 この時、艦首方向から突然現れた1機により、「磯風」は至近弾を喰らい航行不能になります。
 「矢矧」も、魚雷7本と爆弾12発という軽巡としては異例に大きな被弾に耐えながらも、沈没。
 
















 
 ■力尽き行く「大和」
 左舷に集中して、「大和」は雷撃を受け続けます。
 そのため、右舷の缶室まで注水しますが、速力低下と傾斜は止まりませんでした。




























 

 ■「大和」沈没、そして
 14時21分、「大和」はついに横転し、弾薬が誘爆し沈没。
 この時の爆煙で米機を1機撃墜したともいい、遠く鹿児島まで爆音が聞こえたともいいます。
 いずれにしろ、この瞬間が日本海軍の伝統たる艦隊決戦の夢が消えた瞬間でした。

 水上特攻作戦が中止された後も、残された駆逐艦の戦いは続いていました。
 生存者の救助と、祖国への帰還という戦いです。
 
 ■「磯風」を砲撃処分する「雪風」
 航行不能だった「霞」と「磯風は、撃沈処分となりました。
 佐世保まで帰り着いたのは、「冬月」」「涼月」「雪風」「初霜」の4隻でした。









 ■最後に
 天一号作戦時の第二艦隊を再現しようと思ってから2年。ようやく、ここまできました。
 良くも悪くも日本海軍の性質が現れた、この海戦。
 最後に、この戦いに参加され亡くなられた全ての方に追悼の意を捧げたいと思います。

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