敷設艦 津軽
I.J.N. Tsugaru
裏方に徹した万能艦
<使用キット.>
フジミ社 日本海軍敷設艦 津軽−1944−
<実艦解説>
「津軽」は、1930年のロンドン軍縮条約により建造を認められた大型の敷設艦で、第三次艦艇補充計画で建造されました。
先に建造された「沖島」の準同型艦で、全溶接から鋲構造への変更、復元性の向上や、武装の変更等が行われました。
また、当初より補給艦としての使用も考慮され、重油102t、、航空用ガソリン125tの搭載が可能でした。
■対潜機雷堰
1940年10月22日に竣工した「津軽」は、第四艦隊第19戦隊に所属し、開戦時は内南洋方面での上陸支援にあたっていました。
「津軽」は前線への輸送、護衛任務につくかたわら、本来の重要な任務である機雷敷設を行います、
二次大戦中、日本の通商路は米潜水艦の攻撃に悩まされました。それを防ぐためには、船団の護衛を増やすほかには潜水艦の進出自体を防ぐ方法がります。つまり、米潜水艦が通る海峡への機雷敷設です。
「津軽」は、1944年1月にマレー半島西岸のペナン港沖に敷設したのを皮切りに、3月にボルネオと比島の間のバラバック海峡、4月にレイテ湾などに敷設しています。同年8月にバラバック海峡で、米潜「ロバロ」が触雷して沈んでいて、「津軽」の功績の可能性が高いです。
もっとも、「津軽」のような正規の敷設艦は輸送や護衛に使われる事が多く、対潜機雷堰の設置には特設敷設艦が使用されることが多かったようです。
■戦時改装、そして最後
「津軽」は、前線で活動する事が多かったので損傷する事も多く、爆撃を2回、雷撃を2回受けています。その損傷復帰に合わせて、対空兵装の強化とカタパルトの撤去、電探の装備が行われています。
1944年6月、米軍はニューギニア西端のビアク島に上陸。日本軍は、逆上陸の精鋭、海上機動第二旅団を送ります。「津軽」は、その一部を乗せて、掃海艇三〇号と出撃。しかし、このビアク上陸は陽動で、米軍はサイパン上陸を開始。
「津軽」は、逆上陸を中止し陸兵をビアク付近のソロンに降ろして帰途に着きます。そして、その途上の6月29日にフィリピンのモロタイ島付近で米潜「ダーター」の雷撃で沈没していまいます。
<模型解説>
フジミから発売が決まった時は、まさかと思いました。レジンキットですらあまり見かけないマイナー艦をインジェクション化したフジミさんに、まずは感謝です。
ですが、超絶デティールのフジミ「金剛」と比べてしまうと見劣りしてしまうのは確かです。艦首の形状が太すぎるという批判もあります。
今回は、組み立て時の隙間をパテ埋めし、武装をWL共通パーツと交換する程度にとどめました。機雷積み込み用クレーンはキット付属のエッチングパーツです。
外舷電路と汚水廃捨管は、エバーグリーンの0.25mmプラ棒で製作。
フォアマストは合いが悪かったので、一部真鍮線に変えました。
■「津軽」と「霞」
「津軽」は排水量の割にコンパクトで、駆逐艦に近い全長です。
■要目
■排水量:4,000t(基)
■全長:124.5m
■全幅:16.2m
■出力:9,000馬力
■速力:20.0ノット
■武装:12.7cm連装高角砲2基、25mm3連装機銃6基、同単装機銃4基、爆雷投射機1基、93式機雷600個搭載可能