駆逐艦 浦波

I.J.N Uranami
裏方に徹した、近代駆逐艦の嚆矢


 <使用キット>
 T社初雪
 T社敷波

 <実艦解説>
 ワシントン条約により主力艦の保有を制限された日本海軍が、その劣勢を埋めるため建造した特型駆逐艦。
 特型は大きく分けて3タイプに分けられますが、浦波は、その改T型にあたります。
 T型は、A型砲架(最大仰角40度の平射砲)と、簡易な射撃指揮装置を搭載したタイプです。浦波は、砲兵装はT型のまま船体・機関に改良を加えたタイプです。すなわち、煙突の周囲にお椀型の給気塔を装備したのが特徴です。このお椀型給気塔は、海水の浸入防止と機関の加熱に有効であったため、以降の日本駆逐艦に標準装備となっていきます。
 さて、浦波は開戦初頭に3水戦19駆逐隊に属して、マレー半島上陸を支援。1942年には、第3次ソロモン海戦に参加しています。
 その後、第16戦隊に転出し南西方面(比島、ニューギニア)での輸送任務に就きます。
 ビアク島逆上陸作戦「渾作戦」への参加(途中で中止になりましたが)の他は、ひたすら輸送という重要ですが地味な任務に従事しています。
 そして、1944年10月の捷一号作戦において、第16戦隊は逆上陸部隊の輸送部隊に任命されます。

■1944年10月時の第16戦隊
 重巡「青葉」、軽巡「鬼怒」、駆逐艦「浦波」の3隻です。
 








■1944年10月時の第16戦隊、その2
 「青葉」はH社の旧キット。「鬼怒」はH社のキットを小改造。
 いずれも中学生時に製作。
 簡単に編成できるといえ、渋い戦隊をよく再現したものです。








 しかし、マニラ入港直前の10月23日午前4時25分、米潜水艦の放った魚雷が、「青葉」の前部右舷機関室に一発命中し、航行不能・大傾斜の状態となりました。
 「青葉」は軍港で応急修理を行なうことになり、第十六戦隊の構成艦は、わずかに「鬼怒」「浦波」の2艦だけとなりました。戦隊の将旗も「鬼怒」に移りました。
 レイテ沖海戦が絶頂の10月25日夕刻に16戦隊の2艦はカガヤンに入港。第三十師団に所属する歩兵41連隊を搭載しました。「鬼怒」が340名、「浦波」が150名の歩兵とその弾薬を搭載した後、1時間半後には出港し、いよいよレイテ島オルモックに向けて進撃することになります。
 翌26日の夜明け前、第16戦隊はオルモックに到着し、揚陸に成功します。
 しかし、帰路で2艦とも艦載機の空襲を受けて沈んでしまうのでした。

 <模型解説>
 このHPに掲載する艦船模型の中では、小艦艇以外では最も製作時期が古い艦です。なにせ、中学生の時に作ったのものですから。
 しかしながら、既存のキットに手を入れた初のキットで思いいれも深く、ギリギリ見れるラインなので掲載しました。
 MA社の艦艇模型テクニック講座6を片手に、製作。公開にあたり、主砲をPT社の物に換装した他は当時のままです。なので、舷窓開けも墨入れも行っていません(苦笑

■前方より
 初雪の艦橋、主砲と敷波の船体、煙突を組み合わせただけです。
 ツヤを消すために船体をヤスリがけしているわりに、舷窓開けていないという…。











■PT社「響」との比較
 V型と改T型という違い以前に、キットの製作時期の違い、金型の違いが大きいですね。








 ■要目
 ■排水量:1,680t(基)
 ■全長:118.5m
 ■全幅:10.36m
 ■出力:50,000馬力
 ■速力:37ノット
 ■武装:12.7センチ連装砲2基、25ミリ機銃16門(推定)、61センチ3連装魚雷発射管3基

 艦艇泊地へ戻る。