鋼鉄の黄昏〜引きこもり最凶お嬢様
■「フランドール」着工
1930年代末、欧州は建艦競争に明け暮れていた。
Z計画を推し進める独。近代改装された戦艦と新鋭戦艦の整備に余念が無い伊。未だに強大な勢力を保つ英。さらには、オランダまでもが巡洋戦艦を建造を始める。
当然、フランスも傍観するわけは無く、ダンケルク級に引き続きリシュリュー級の建造に着手していた。
しかし、隣国ドイツでのH級戦艦の建造開始は大きな衝撃を与えた。フランス海軍内での過剰な性能予測は、リシュリュー級を2隻で打ち切ってのアルザス級の建造を決定する。アルザス級はリシュリュー級の拡大発展版であり、当初は38p4連装砲を3基搭載する予定であった。
だが、ダンケルク級での4連装砲の芳しくない使用実績とH級への恐怖から、主砲は50口径40p3連装砲へと変更される。
さらに、国内のドックがアルザス級2隻と、七万トン豪華客船「ノルマンジー」の空母への改装等で手一杯のため、3番艦「フランドール」は米国で建造される事になる。
■二次大戦〜フランス降伏
1930年代、ニューデール政策の失敗からルーズベルトが失脚した米国では、経済回復のためにモンロー主義と相反する兵器の海外輸出を行っていた。
元々、オマハ級軽巡の図面をフランス海軍に提供するなど密接な関係だったこともあり、「フランドール」の米国での建造はすんなりと進んだ。米国は「フランドール」の建造に非常に協力的で、予算不足から建造が遅れていたサウスダコタ級、アイオワ級より優先されて建造が進んだ。
また、ダンケルク級で明らかになった大口径両用砲の欠陥や、40p砲の運用経験不足から、米国での設計変更が行われ、「フランドール」は元のアルザス級とは異なる部分が多くなった。
しかし建造中の、「フランドール」に衝撃がもたらされる。1939年に発生した第二次世界大戦と、翌年のフランス降伏である。
第二次大戦にフランスは、日英同盟と呼応して独に宣戦布告を行った。開戦当初は緊密だった3国だったが、フランス本土での戦闘は、それに変化をもたらした。すなわち、ダンケルクから英国への撤退時に日英部隊が優先され、フランス軍のほとんどが置き去りにされたことである。さらに、英国本土での事件が致命傷になってしまう。
■「リシュリュー」接収〜ビシー・フランス海軍誕生
1940年7月。降伏したフランスから脱出した一部のフランス艦艇は、英国本土の軍港に停泊していた。その最大の艦が、卒業したばかりの候補生と共に脱出した「リシュリュー」である。その「リシュリュー」に、突如英国陸軍部隊が乗艦してきた。艦の引渡し要求である。
当初こそ平和的な話し合いであったが、ダンケルク撤退以来の不信と、若く血気盛んな候補生達の暴走から、銃撃戦になってしまう。「リシュリュー」側が副砲で応戦しだしたのに対し、英国は戦車や対空砲、はては在泊艦艇までが応戦しだし、事態は大事になってしまう。最終的に「リシュリュー」の接収には成功するものの、フランス側に大量の死者が発生。特に、若く前途有望な候補生達に多大な犠牲者を出したことにより、フランス本土での対日英感情は悪化。
このことが、仏本土発足したばかりのビシー・フランス海軍が占領者であるはずのドイツへの積極的な協力を促し、英本土上陸作戦の成功につながったとする向きは多い。
■「フランドール」竣工〜
「フランドール」は、日英同盟寄りの自由フランス海軍、ドイツ寄りのビシー・フランス海軍の双方が所有を主張。
しかしながら、結局は資金・人員で勝るビシー・フランス海軍が取得。
1944年に、欧州へ到着。英本土沖での観艦式で披露された。
■そして、「引きこもりお嬢様」へ
到着時に盛大な歓迎を受けた「フランドール」だったが、その後は存在感を示す機会は少なかった。
連合国機動部隊が大西洋に現れるようになると、バルト海の奥深くのヴェルヘルムスハーフェンに逼塞する事が多くなったのである。
装備品の多く、特に主砲と両用砲が他の独仏艦艇と規格が違うためと、決戦兵器として温存されたためである。
また、「フランドール」の乗員は実戦経験が無く、敵艦を見たことが無い者も多い。さらに、艦長は少々気がふれているとの噂もある。
そのため敵からは未知なる恐怖をこめ「最終鬼畜妹」などと呼ばれるも、味方からは「引きこもりお嬢様」と呼ばれる事もあった。