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 模型で再現する「大和特攻」。

1945年4月7日に行われた坊ノ岬沖海戦、通称「大和特攻」。
日本海軍最期の、水上艦隊による海戦。良くも悪くも日本海軍そのものの最期を象徴する、この海戦を1/700で再現しようと思います。
撮影の都合上、各艦の距離は縮めて撮影しています。

艦艇泊地へ戻る。


 ■1945年3月末、呉軍港。
 連合艦隊の主力が、ここに集結していました。
 レイテ沖海戦と、比島での強行輸送作戦で戦力を消耗。さらに、この頃には「大和」以外の大型艦は、燃料の欠乏により作戦行動が不能になり軍港防空用に係留されるだけになっていました。
 右端に写る航空戦艦「伊勢」も、3月1日付で呉第1予備艦とされています。
 また、本土の制空権すら危うくなり、B29により、実際に似た構図の写真が連日撮影されています。















 ■触雷損傷し、離脱する「響」
 3月29日、駆逐艦「響」は作戦待機中に周防灘にて、航空機雷に触雷。
 結果、翌月の天一号作戦には参加できませんでした。


















 ■出撃
 4月5日13時59分。「大和」以下10隻の第二艦隊に、沖縄への特攻攻撃準備命令。
 さらに、翌6日には豊田連合艦隊司令長官から「(中略)皇国の興廃は正に此の一挙にあり。茲に特に海上特攻隊を編成し壮烈無比の突入作戦を命じたるは、帝国海軍力を此の一戦に結集し光輝ある帝国海軍海上部隊の伝統を発揚すると共に其の栄光を後昆に伝えんとするに他ならず(以下略)」との訓示。
 正に、「伝統」と「栄光」のためだけに、帝国海軍最後の艦隊は6日15時16分過ぎに出港。
 この豊後水道出港時は、下の写真のような第一警戒序列で進撃しました。(矢矧を先頭にした、単縦陣の説もあり)
 「大和」の周囲の右横から「涼月」「冬月」「矢矧」「初霜」
 その前方で、対潜警戒するのは「磯風」を先頭に、右に「浜風」「雪風」。左に「朝霜」「霞」

   

              


 ■引き返す、対潜掃討隊。別れを告げる「大和」
  6日16時20分まで、第二艦隊の前方を第31戦隊の「花月」「栢」「槙」が警戒していました。
  この時か、どうかは定かではありませんが、「大和」は主砲発射訓練を行っています。
  もしかすると、小説「八八艦隊物語」にあったような、まるで「大和」が別れをつげているかのように、主砲が動く様子が引き返す駆逐艦から見られたかもしれません。
  












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